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2005年05月07日

Short Circuit

先日長野に向かうバスの中でふと思い出した映画。
Short Circuit2
私がこの映画を見たのは中学生の頃。
かれこれ9年ほど前になる。
しかし本作は今でも私の心に強く残っている。

以下多少ネタバレを含んでいます。
古い映画ですが一応注意。

本作の主人公はジョニー5。
ジョニーは人間ではない。
兵器として開発されたロボットである。
この作品はエンターテイメントとして楽しめる事を前提としている映画だが、
少なからず鉄腕アトムやAI、アイロボットのように
「ロボットとは何か」「ロボットと人の関わり」をテーマとしている。

しかしジョニーは外見からして人間とは全く異なる。
足はクローラー駆動で、ボディは銀色のフレームがむき出し、
頭はレンズが2つ並んだカメラが乗っているだけである。
しかし見た目によらず驚異的なパワーと機能を持ち、頭脳の処理速度も人間を遙かに上まわる。
Short Circuit2というからには1があるわけだが、残念ながら私は1は見たことはない。
1の内容は簡単に書くと、兵器として開発されたロボットNo.5が落雷事故で感情を持ち、
人間の女性と心を通わせていくうちに優しい心を持ってくというものらしい。
No.5はやがてジョニー5と呼ばれることなる。

ジョニーは自分自身が人間と対等な存在であると信じて疑わない。
それは決して思い上がりのようなものではなく、
自らをロボットと認識しつつも、人間だから、ロボットだからというような扱いの差は
ジョニーにとって決して受け入れられるものではないのだ。
自分は感情を持っているのだから。
自分は「生きている」のだから。
しかし周囲の人間は必ずしもそうではない。
ジョニーをロボットとしてしか、道具としてしか見ていない者もいる。
感情を持っていること、生きていることを理解出来ない者もいる。
果ては犯罪組織に利用されたり、身近な知り合いに騙されて売られてしまいそうになる。
それ故ジョニーは悩み、苦しむ。

大まかなストーリーは、世間知らずなため犯罪組織に利用され
銀行強盗に荷担してしまったジョニーが、その組織を相手に奮闘するというもの。
その活躍によりラストでジョニーはついに市民権を得る。
市民権というのがいかにもアメリカ的だが、
多民族国家であるアメリカでは市民権というものの意義はとても大きい。
ジョニーが市民権を得たということは、その存在が皆に認められたということであり、
映画中で用意されたジョニーへのハッピーエンドなのだ。

既に気づかれた方も多いと思うが、
本作は基本的にはコメディータッチのエンターテイメントであり、
作中で感情を持ったロボットについて深く考える映画ではない。
しかし見る者は少なからずそれについて考えされられるだろう。
ジョニーというキャラクターの演出が実に上手くできているのだ。
いつしかジョニーが人間以上に人間らしく見えてくる。

ジョニーが犯罪組織の人間の手によって破壊されるシーンがある。
その時彼は必死に叫ぶ。

「殺さないで!」

それは単に救いを求める叫びではなく、
自分は「生きている」ということの精一杯の叫びでもある。
しかしその声は彼をロボットとしてしか見ていない者には届かない。
ジョニーと人間、両者のすれ違いは、まさにこのシーンで最も残酷な形で表されている。
ぼろぼろになったジョニーはそれでも必死に「生きようと」する。
その姿は、人間とはかけ離れた外見ながらとても痛々しい。

いつかロボットが感情を持ったとき、
我々は「彼」にハッピーエンドを用意出来るのだろうか。
出来ぬまま「彼」を誕生させれば、彼はとても辛い思いをするかもしれない。
ジョニーの叫びは今も心に深く突き刺さる。

投稿者 Nightfly : 2005年05月07日 20:13 | Mind

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